寺子屋シリーズにはヴァーチャル受講(バックナンバー)というシステムがあります。
オンライン受講です。後日、音声教材やレジュメが配信され、それを学習するというシステムです。
オンラインと言っても、Ustなどでリアルタイムで受講するのではなく(それも面白いのかもしれませんが)後日、音声教材がお手元に届きます。
開催が平日夕方ということもありますし、遠方の方はなかなか来れませんし、仕事の都合で来れない場合もあります。
それでも基本的に「まといのば」では一講座一回開催ですので(二度目がありません。同名講座でも内容はガラッと変わります)、寺子屋シリーズだけはこのヴァーチャル受講のシステムを採用しています。
寺子屋シリーズでは通常のセミナー会場での受講を仮にリアル受講と言い、オンライン受講のことをヴァーチャル受講(もしくはバックナンバー)と呼んでいますえ(バックナンバーとヴァーチャル受講は基本的に同じです)。
ちなみに、寺子屋シリーズにお申し込みされると受講生専用のメーリングリストに招待されます。
そのメーリングリストのシステムは老舗のFreemlを使っているのですが、そこに過去の寺子屋シリーズのすべてのレジュメ、参照資料、板書写真が置いてあります(もちろん、受講生は自由にアクセス可能です。受講生は自分のペースで学ぶことも可能です)。質疑応答などもメーリングリスト上で可能です(直接、講師に聞いていただいてかも構いません)。
そんわけで(どんなわけだ)、寺子屋シリーズのフィードバックをいただきました。
ヴァーチャル受講の方からです。
ヴァーチャル受講(バックナンバー)の良さは自分のペースで聞きたいときに、いつでも聞けるということです(^^)
(引用開始)
ぶつぶつ切りながら日にちをあけながらですが、音声を聞いています。
今まで「まといのば」を読み込んできたわけでもなく、感想を送るのがなんとなく気がひけるのですが…すごくおもしろかったです!
ブログ、これからしっかり読みます。哲学の原書も読みます。
聞いている間、頭や頬や顎、歯茎などがだるく痛くなりました。当たり前ですが身体で聞いているんですね。常に自分の身体をどこかしら触れながら聞いていました。
「ダイナミックに動く」「手ざわり」「プラトンの肉声を今、聞いている」「そこらじゅうに哲学が散らばっている。普通の人が普通に話している」というポイントが今は、身に染み込んできているみたいです。「うわあ見えている。わたしの身体が見えているし闇が見えている」と興奮して眠れず。
わたしは哲学の詩的感覚や風景のようなものをただ好きでした。「ちゃんと読めない」「ちゃんと知らない」、だからしっかりおさえておきたいという目的で受講したのですが、「いや、知っていたんだ、それなりに。詩や風景を感じていたのだから」と思いました。また、「知っていた」と信じたかったんだ、とも思います。翻訳された言葉を神とあがめて怖れていたんだと思いました。
ある概念と出会って発生したその揺れを、言葉で表そう、言葉という止まったもの、決められたもので表そう、としてきたことが、そもそも間抜けなことだったんだ、これはわたしの抱えてきた症状すべてだな、と思います。
(引用終了)
講座の肝の部分をこれほど正確に表現したフィードバックはないように思います。
ありがたいことです。
「翻訳された言葉を神とあがめて怖れていた」とはステキな表現です。
哲学という営みは我々に無関係に見えて、深く我々の心と体を規定し、文化や文明を構造化させます。現代に生きる我々がそれを知らないで済むはずもありません。
哲学の広大な世界を歩くための小さな灯火になれば幸いです。
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「翻訳された言葉を神とあがめて怖れていたんだと思いました。」
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