目の前に広がる情報空間を体感するというのが、今回の陰陽師養成スクールの裏のテーマでした。
人里離れた空気の美しい場所で、満天の星々を眺めたときと同じように、目の前に無限に広がる情報宇宙をいつも観ることがポイントです。
いやいや、情報空間は理論では理解するが、実際に目の前に見るなんて不可能ですよ、と思う方もいるでしょう。
しかし、サンテグジュペリの星の王子さまではないですが、
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
のだと思います。
このときの「心で見る」とは抽象度を上げて見るということです。
同じものを見ても、人によって見え方は全く違います。僕が進撃の巨人のTシャツを着ていても、気付く人は受講生の中でわずかですw
最初はAR(拡張現実)のように物理世界に重ね合わせて、自分の頭で仮に情報空間を目の前に創りあげます。それは星空のハリボテで良いのです。星の代わりに風船が大量に舞っていても良いし、美しいクラゲたちがふわふわと幻想的に浮いていても良いのです。
そのうち、それが第2の現実になっていきます。
自分がリアルだと意識している現実世界もまたその風船の1つであり、クラゲの1つです。
そこから他の膨大な宇宙を眺めるイメージです。膨大な宇宙というとパラレルワールドのようですが、クリプキの可能世界と考えると良いかもしれません。
いわば、風船の1つ1つがいわば可能世界の1つ1つなのです。
風船や美しいクラゲたちではなく、気の球が大量に浮かんでいると考えても構いません。それをリアルに眼前にいつもイメージして、いつもその風景が最初に浮かぶようにします。
現実世界のリアリティ以上の、リアリティをその情報空間の風景に感じるクセをつけるのです。
我々は地球が丸い球であることを知っています。地球という名前からして、地の球です。もし球だと思っていなければ、地平でしょう。地が平らと書いて。
おそらくはほとんどの人が自分自身で立証することなく、地球は丸いことを知っていると主張しています。
ですので、眼前に広がる地球の光景に対して、我々はたしかに地球を見ていると考えています。地球はフラットであると確信する人は多くありません。
日常的には我々はその巨大な球体の一部だけを見ています。その球体が十分に大きく、かつ我々が十分に小さいから地球は球体というよりは、むしろフラットに見えるに過ぎないことを知っています。
遠くの山が小さく見えるからと言って、本当に小さいとは思っていません。月と太陽の見かけの大きさが同じだからと言って、同じ大きさだとは夢にも思いません。それは知識の問題です。どう見えたとしても、我々は知識で補正するのです。より厳密には知識がなければ、存在が目に映ることもなく(目に光の粒が飛び込んでも、それは認識されずに終わります)、存在が目に映らないので、存在しないことになります。
話を戻すと、我々の認識では、その目の前に広がる地球のフラットさよりも、地球は球であるという事実のほうが臨場感が高いのです。
見た目がどうあれ、見た目という概念自体が何らかの知識を反映しています。
イーグルトンの孫引きとなりますが、かつてケインズが経済理論について語った印象的な言葉があります。経済に理論などいらないという人たちがいる、と。しかし、経済に理論がいらないという人たちがしていることは、古い経済理論に依拠しているだけであり、古いパラダイムに依拠していることに無自覚なのだ、と。
地球がフラットだと無邪気に思う人がいたら、無邪気なのではなく、かつての「地球は平らである」という理論を無意識に踏襲(とうしゅう)しているだけなのです。ですので、「見たままに」などと言うのはウソであり、「直感的には」とか「普通に見ればこう見える」がなどと言う人は、単に自分の古いパラダイムの信仰告白をしているにすぎないということです。
ですので、我々は新しい酒を新しい革袋に盛るべく、新しい知見を眼前に広げることで、認識をサルのレベルから人間のレベルへ拡張したいと考えます。それが満天の星々のような情報空間であり、可能世界が星のように輝いている光景です。
だれかが、なん百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花がすきだったら、その人は、そのたくさんの星をながめるだけで、しあわせになれるんだ。
これはもちろん星の王子さまが自分の星に残してきた最愛のバラのことを思い出して語っているシーンです。地球にやってきて、星空を見上げ、その星の1つに自分の愛するパラがあることを確信できれば、その星々を眺めるだけで幸せなのです。
これは自分の目の前にある可能世界を眺め、その1つが自分の理想世界であり、夢であるならば、眼前の情報空間を眺めるだけで我々は幸せになれるということとつながります。
ここでのポイントは「幸せになる」のは達成したときではなく、描いたときであるということです。
与沢翼さんは「どんな美女もどんな贅沢も、目標を持つ楽しさとは比べられない」(与沢翼「告白」p.168)と書いています(とは言え、彼もまた達成したときが究極の幸せと定義していますが)。
言葉とおりに捉えれば、まさに「目標を持つ楽しさ」です。目標を達成したらという仮言命法(カント)ではなく、「目標を持つ」こと自体が楽しいのです。
ですから、我々は可能世界を眼前に広げ、その1つにゴールが存在する(自分の愛したパラが確実に存在する)からこそ、いまここで幸せになれるのです。
その道筋なり到達可能性などは二の次なのです。
ちなみに、星々は黙ってキラキラ輝いているわけではなく、超光速で動いています(光速を超えてということではなく、比喩的な意味でです)。
我々がゴールを決めると、情報空間ではこのように概念が加速します。
イメージ動画はお馴染みのマトリックスです。武器が圧倒的な速度と量で自分の世界へやってくる感触を味わってください。
*マトリックス「武器庫」
このシーンですが、トリニティが一歩ネオの方に歩くという演出が心憎いですね。場にリアリティを持たせています。
大量の武器が瞬時に膨大にやってくるのが、ゴールを設定した瞬間に情報が矢のようにやってきて、現実が変容するというメタファーです。実際に我々は闘う武器を手にします。その武器の名は知識です。知は力なのです(フランシス・ベーコン)。
ちなみに、これは情報空間の話。情報空間で我々が見る光景です。
もし、物理的にであれば、加速学習というのは以下のように行われます。
*ヘリコプターの操縦法をダウンロード
ヘリコプターの操縦法を脳にダウンロードしているときに、記憶を司る海馬にアクセスするのでREMが起きています。Rapid Eye Movement、すなわち眼球の運動です。
これは自分でも引き起こせますし、訓練によって、意図的に引き起こすべきかと思います。
では、どうやってやるのかと言えば、最近の陰陽師スクールやヨガ講習会でお馴染みのように、記憶を合成によって創りあげます。
なかなか困難であった背屈系が、陰陽師のわざとセットにすることで次々と高度な背屈があっさりと達成できたのは壮観でした。
*マトリックス避けと言うそうですw
いずれにせよ、情報空間を目の前に広げましょう。
それが第二の自我となれば、いつでも情報空間が目の前に広がるようになります。
中世の闇が眼前に広がっているより、はるかに素晴らしい光景ですし、社会にも圧倒的な機能を果たせます。
*脳のギア・チェンジを!
【書籍・DVD紹介】
というわけで、本文中に言及した書籍等です!
星の王子さま (新潮文庫)/新潮社
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新版 文学とは何か―現代批評理論への招待/岩波書店
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Matrix Trilogy, the [Blu-ray] [Import]/作者不明
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陰陽師の風景〜満天の星空と可能世界〜心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ〜
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