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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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地図さえあれば、1万時間が20時間に圧縮できる...かも

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寺子屋において、学問を単純化しすぎているのではないかという批判は甘受しますが、僕らは学問をしているのではなく、学問を学ぶ側です。というか、学問をしている側(学者先生や研究者)の専門外に対するあまりに無邪気な無知さにたまに驚かされますが(もちろん稀ですけど)。

我々は学問をざっくりと単純化して、よく言えばシンプルな系として、頭に入れてしまいます。悪く言えばざっくりすぎますし、ある種の冒涜(ぼうとく)と取られかねないかもしれません。

しかし、寺子屋においてはそれで良いと半ば開き直っています。

というよりは、むしろファインマンさんの言うように「道理で四年間も生物学をやってきた君たちに僕がさっさと追いつけるはずだよ」というほうが、しっくり来ます。この方法のほうが「さっさと追いつける」のです。

ベーコンでしたか「現代の(その当時の)数学のレベルの高さを後世の人が学ぶためには、数学だけ学んでも20年かかる」と言いました。しかし、中学生が余裕で(いわば片手間で)学んでいます。

教育をきちんと整理するなら(整理されるでしょうし)、未来において、数か国語をあやつり、高い身体レベルをほこりながらも、深い教養を持つ人材の輩出は容易になると思います。それも驚くほど短期間で実現できるでしょう(というか、今の教育が壁に頭を叩きつけながら、無知を嘆くだけの無為なシステムなのです。いやその割合が大きいのです。その中を上手にすり抜けた人が賢くなります)(制度設計する人も、教える人も頭の不自由な人なので仕方ないですし、必然的かもしれません)


「まといのば」の寺子屋では大人の知性のために子供時代に学んできておきたい学習内容をテーマにしています。まさに「寺屋」です。子供のための学習法です。


我々が何かに不自由さを感じる時に、その不自由さの源泉は大概は無知によります。もちろん構造的な問題や矛盾などがあることは事実ですが、その構造的な問題や矛盾をつかまえて、解決する高みまで上がれば、問題や矛盾は単なる解決すべき課題になります。不条理にのしかかってくる問題や矛盾ではなくなるのです。


当初の予定では、寺子屋は半年ほどで完結するつもりでしたが(そしてそこで得た十分な知性を背景にした「塾」へ移行する予定でした)、早くも1年が過ぎました。そして思いの外、遠くまで来ることができました。その過程において、受講生の知性がかなり骨太になってきたので、ますます加速できそうだという手応えをこの数ヶ月、特に感じています。

新規に参入される方も増えてきました。良いことです。その方々もまた加速度的に進化されています。


寺子屋では、頭の中にゲシュタルトをつくることを第一優先にしています。知識ではなく、まずゲシュタルトありきです。地図と言い換えても良いでしょう。そのゲシュタルトや地図は暗記をベースとするのではなく、手触りありきです。まず手触りがあり、そして憶えるべきメルクマールを1つ、2つ、3つと覚えていくことで、よりその風景がクリアになっていきます。

学問の世界はそれぞれ独立した(もちろん深いところでつながっているとは言え)世界です。それぞれがユニークな宇宙です。その感触をつかまえて、いくつかの指標(メルクマール)を押さえることで、全体像を頭の中に小さくても良いので宿します。むしろ小さいほうが良いのです。

それは種(たね)としての公理であったり、二項対立であったり、三角形のトリニティであったり、四角形であったりします。それらの構造物が脳に根を下ろすと、勝手に成長します。勝手に増殖していくイメージです。これこそが加速学習のポイントです。

この小さな系(ゲシュタルト)をたくさん持つことで、一を聞いて十を知る人になれると思います。一を聞いて十を知るというのは、賢いということではなく(いや、もちろん平たく言えば賢いということなのですが)、ある1つのことを様々な視点で観ることができるということです(多分)。

世界を観測するためのフィルターとなるゲシュタルトが多ければ、多いほど様々なことが、たった一つ二つのことから学べます。もしフィルター(知識)がなければ、何も知ることができません。フィルターというのは、ライトのようなものです。様々な方向から照らせば、そのものが深く理解できます。一方向からのライト(ゲシュタルト)だけでは、一方的な理解しかできません。多面的な理解のためには、多面的な知識が必要です。


寺子屋でたとえば哲学を学んでも、ラテン語を学んでも、物理学を学んでも、何を学んだとしても、一歩外に出ると、我々が知らなかっただけで、世界は哲学やラテン語や物理学を背景にして動いており、様々なところにその表象を観ることができます。

よく「勉強などいくらやっても社会で役に立たない」などと言うお子様がいますが(まあお子様の戯言なので聞き流せば良いのですが)、勉強もせず、社会の役にも立っていない子供らしい浅はかさな発言です(いや意味のなさそうなお勉強も実際にありますが)。おバカさんなので、社会が見えていないだけです。

実際は、きちんと学べば、世界は一変します。そして、学んだことは直接ではなくても、間接的にせよ猛烈に生きてきます(実際はかなり直接的です)。ただそれは学んだことで自分を変え、社会に機能を果たさない限りは見えてこないことです。これは役に立ってはいけないとされる教養も同様です。

ですので、「勉強などいくらやっても社会で役に立たない」という戯言(ざれごと)に対しては、とりあえず「そうですね」と回答するしかありません。もちろん、すべては自己責任なので(責任を押し付けるという意味ではなく、単なる自然の摂理として)。

そのような戯言を言わず、せっせと学び続けて、ある程度、骨太な知識ができてきた皆さんは、古典の速読術や、記憶術(記憶の宮殿なりフォン・ノイマンのホワイトボードなり。もしくは、僕自身はMATRIXの武器庫や空海の立体曼荼羅などが良いと思いますが)を学ぶのも面白いと思います。苦労してきた部分をショートカットできますし、ますます加速できるでしょう。

学ぶ前に道具を持っても仕方ありませんが(豚に真珠なので)、ある程度、苦労して学んできた方にはこれらの方法論(道具)は福音だと思います。

学ぶ上でのコツというのはまだまだ多く存在します。

たとえば、The First 20 Hoursなども知っていて損はないと思います。シンプルに言えば、「そこそこになるには1万時間もいらないよっ」てことです。「とりあえず最初の20時間は集中しなっ!」というありがたい教えです。

ただ、「4つのことに気をつけてね」ということなのでその4つを箇条書きします。

1.Deconstruct the skill
2.Learn enough to self-correct
3.Remove practice barriers
4.Practice at least 20 hours




Deconstructできるレベルとか、Self-correctできるというのは、すでに相当なレベルに達しているような気もしますが、我々にとっては1万時間よりははるかに福音です。マルコム・グラッドウェルの1万時間というのはいわば卓越したレベルに達するためと考えれば納得ができます。

また、20時間という時間は、実際にかなり経験的に納得できる感じがあります(それでも20時間というのは十分に短くて、これはこれで相当に加速学習な気がしますけど。一つの目安にはなります)

イメージとしては、素材を食べる前に徹底的に吟味して、下ごしらえして、ちゃんと調理してから、しっかりと時間をかけて食べる(食べて消化して身にする、身体に落としこむ)というイメージですね。

引き続き僕らも欲張りにがんばりましょう!




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