若い頃には、バレエをもし僕が教えるとしたら、「引き上げて」とか、「肩を下げて」とか、「腹筋を締める」、「お腹を締める」などとは言うまいと、誓ったのですがw(誰に誓うかはともかくとして)、今になると、実際にとっさに伝える言葉に適切な言葉がないことに気付かされます。
で、実際に僕もYogaスクールで三点倒立などを指導していると、「お腹を締めて」、「お尻を締めて!」と声がけしています。
まあ、その前にたっぷりと解剖学的な話しは伝えての声がけではあるのですが。
まさに若気の至りであり、若さとはバカさだなといつもながら気付かされます(笑)
まあ、どうでもいいのですが。
教師たちが(もし彼らがきちんと踊れる場合ですが)、何らかのイメージを伝えようとしても、それを生徒に伝えるのは困難です。
第一に、それほど伝えるためのビット数がないのです。
レッスン中にかけられる声はほとんど一言です。「あなたは腰椎をきちんと伸ばして、そのためにも腹直筋を少しずつゆるめながら、落ちそうになる腰椎を脊柱起立筋と腸腰筋の引っ張りだけで、きちんとコントロールしてみて」などと言わず、「引き上げて!」と叫ぶしかありません。
第二に、生徒に解剖学の知識がありません。
どれほど素晴らしい情報でも、生徒に受容体がなければ、豚に真珠です。これはかなり深刻です。
(ちなみに教師も生徒も解剖学を知らず、盲が盲を導いています←聖書です。もっと悲惨なのは、半端に習ってきた解剖学をひけらかす教師ですが)
第三に、もし「感覚」で伝えようとしたとしたら、フィーリングが合うか、もしくは最初からでてきてしまう生徒しか「分かる」ことがありません。マタイ効果が猛烈に働きます。すなわち、教師が「感覚」で伝え、それをなぜか翻訳できる生徒か、そんなことを聞かなくてもできちゃう生徒がどんどん上手になります。その「感覚」を共有できない生徒は混乱するだけです。すると、教師から見ると、できる生徒とできない生徒がいる以上、できない生徒が「聞いていない」ということになります。聞いてても意味不明なだけなのですが。
じゃあ、どうすればいいのか、と言えば、そんな簡単な解決策はありません。
少なくとも、曖昧すぎる「感覚」で指導するよりは、解剖学という抽象性と普遍性のある学問を基板にすべきかと思います。ただ解剖学を学ぶのは大変ですし、解剖学の迷宮のなかに迷ってしまったら、出てこれません。そして、不思議な解剖学を唱えられるお医者様なり、医療関係者なり、バレエ関係者はあとを絶ちません(いや「まといのば」がその列に連なっていないとは限りませんが)。
などと、概論をいくら唱えても、腹の足しにはならないので、解決策をいくつか。
ダンサーの解剖学には、いくつかシンプルな原則があると思います。
*汚いアラベスクですが。
第一に、骨中心で考えましょうということです。
引き上げとは解剖学的に何かと聞かれたら(先日のヨガ講習会で受講生たちは頭をひねっていましたね)、第一に脊椎のS字カーブをストレートに近づけていくことです。引き下がっているというのは、腰椎が曲がっている状態です(ちなみに脊椎を大きく曲げても、引き上げているという状態にすることは可能です。結局は、意識が筋肉主体か骨主体かの違いにすぎないのです)。
だから引き下がっているときは、背筋を伸ばせばいいのです。
これまでは背筋を伸ばすと力むと思ってきたので(その考えは変わりませんが)、脱力という視点で避けてきました。
しかし最近分かったのは、力むとか脱力以前に、筋肉量が圧倒的に少なすぎるということです。ですから、24時間力んでいていいので、ともかくきちんと脊椎を伸ばすことが重要です。まず骨格をつくってから、それから筋肉のデザインを考えたほうが良いのです(筋肉が太くなるとか言う人がいますが、その筋肉の太さは鍛えた太さではないだろ、と突っ込みたくなります。筋トレを真剣にやっている人はいかに筋肉というのが落ちやすいから、そんな発言をしません。しかし、鍛えたことがない人は、無知を棚に上げて好きなことを言います。骨格のアライメントの齟齬がありえない負荷を身体にかけているがゆえに、筋肉が結果的に太くなっているのです。もっと筋肉を太くしていいので、きっちりアライメントを整えよ、というのが唯一の対処法です)。
まあ脱力ということを言い過ぎたと反省しています(少しだけ)。脱力というのはきちんと身体を鍛えていて、筋肉がある人へのメッセージです(本来はバレリーナ専門気功整体なので、バレリーナではない一般の人に配慮する必要はないはずですしね。趣味でバレエをしている人に、プロと同じ注意点を与えるはずもありません。草野球の選手とイチローに同じアドバイスをするかを考えれば分かります)。
長くなりそうなので、とりあえず標題の件だけまとめます。
「内ももに集めて」とか、「内ももを意識して」というのは僕も使います。
内ももって何?と考える前に、まず大腰筋の停止を確認しましょう。
そしてそこから腰椎の起始を見あげましょう。
骨格を考える上で、ガイコツが頭頂部から吊り下げられていると考えるのは解剖学的には間違っていますが(頭頂部から吊り下げるものなど無いという意味で)有効です。パペットのように百会(頭頂部)から吊り下がっていると考えます。
すると大腿骨(太ももの骨)は、腰椎からぶら下がっている大腰筋なる大きな筋肉でぶら下がっている様子が見て取れます。
ぶら下がっているのです。
「その感覚を持て」というのが、内ももに集めての意味です。
逆に言えば、大腿四頭筋を使いすぎってことです。大腿四頭筋は表面にあるために意識しやすいのですが、それは副次的に使いましょうということです。
第一に骨を意識し、次にインナーマッスルである大腰筋を意識します。
すると「内ももに集める」という感覚が芽生えます(多分)。
というか、内ももが寄り添っていく感覚です。
まあ、書いていて思いますが、バレエにせよ、ヨガにせよ文字で書いて伝えるのは、天井から目薬以上に厳しいですね。
それに、結局はロジックが分かったとしても、1ミクロンも上手にはなりません。
もしバレリーナの卵にアドバイスするとしたら、「好きなダンサーを見つけ、そのダンサーを惚れぬいて、すべてを自分のものにすべく、穴が空くほど見つめ、食べてしまいたくなるほど好きになること」かと思います。
そういう憧れが、徐々に身体の中に堆積してアルゴリズムを形作ります。
そのアルゴリズムの萌芽があれば、バレエの指導というのは少しだけやりやすくなります。
逆に、特定のダンサーへの強烈な憧れがなければ、何を言っても伝わりません。
というか、あこがれもなしにバレエを踊っていて何が楽しいのって思いますが、まあ、それは人それぞれですよね。
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「内ももに集めて」とは、内ももが集まるように骨格のみを意識して身体を操作しつつ、腸腰筋を働かせて
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