チャンスは一瞬しかなく、それをつかめなければ、二度とそのチャンスは訪れず、そしてだからこそ、自分が失ったものの大きさを知らずにすみます。
でも、実にもったいないことです。
先達というか、先輩というか、その道をすでに歩いたことがある人は人生がパターンであることを知っているので、目の前のクライアントさんに千載一遇のチャンスがやってきており、そしてそれをつかめる力があるのに、気付いていないことに、先輩は気付けます。気付けるけれども、メンタリングにおいては、それを指摘してはいけないというルールがあります。
実際に指摘すると、クレームの嵐になります。
「強制された」
「本当はやりたくなかった」
「言われたからやった」etc.
逆に、稀に逃したチャンスに気付けたりしたら、またクレームの嵐です。
「なぜわかっていたのに指摘してくれなかった」
「観えているのに、なぜ言わない」
「おかげでチャンスを棒に振った」
とかくに人の世は住みにくいものです。
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角かどが立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。(夏目漱石『草枕』)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/776_14941.html
草枕の冒頭ばかりが有名ですが、
人の世は住みにくいとは言え、人でなしの国には行けないとも言っています。
いや、そもそも人の世を作ったのは自分たちとその仲間だろうとも言っています。
住みにくいならば、住みにくいのを理解しながらも、どうにかして、くつろげるようにしよう、そのためにArtがある。詩があり、絵画がある、と。
住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどなり)にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降くだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊たっとい。
僕らはそのためにArt of Touch、もしくはArt of Healingがあります。
それが住みにくいところをどれほどかくつろげてくれるでしょう。
たとえば、無骨(ぶこつ)な話ですが(無骨という言葉もまた趣深い)、かかとの骨である踵骨を少しいじるだけで、幸福感がアップし、立っていることが気持ち良い、歩くのが爽快(いつまでも歩いていたい)となります。
足裏が気持ち良いとクオリティーオブライフが劇的に上がるのです。
よく「靴の中に小石が入っている」という表現をします。
靴の中に小石が入っていると、歩く度に痛くて、不愉快です。
そのうちに慣れてきてしまい、石を少しでも避けるような足裏のカタチになったり、抑圧して、感じなくしたりします。もしくは歩かないようにするか。
靴の中の小石であれば、立ち止まり、靴を脱いで、小石を取り除けば済みます。
でも、それがFasciaや筋肉の中に入った小石(のような拘縮、癒着)であれば、簡単には取り除けません。
いや、むしろ小石が意思を持って(石だけに)、動き回り、逃げ回るようなケースも少なくありません。
知恵の輪のように、正しく謎解きしなければ、力任せでも、想念でも、心持ちでも解決しないことはよくあります(だからこそ、サイコパスであることは大事。感情は謎解きに役に立ちません)。
僕らは「人の世を長閑(のどか)」にするためにヒーリングの技を用い(謎解きのために知性を用い)、そしてチャンスを逃さずにゲットするためにコミュニティがあります(共同体であり、ギルドであり、ポリスです)。
そんな視点で世界を眺めてもらえると、複雑な問題もシンプルに解けるようになるかと思います!!
というわけで、先の記事の終わりにつけても良かったのですが、美脚コンテンツでこれまで公開されているものの一覧を以下に貼り付けます。
もちろん美脚にするための技法はこれだけではありません。
これはまだまだ序章に過ぎません。
でも、正直、この一部だけで(たとえば踵骨だけで)多くの問題は解決するのも事実です。
ヒーラーとは膨大な知識と技術をものにしつつ、ほんの一部だけを使い続けて、成功するものです。