「理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まります。」とハイゼンベルクに語ったのはボーアではなく、アインシュタインであったというのは驚きです。そしてこのアインシュタインの言葉に、我々にE・H・カーの言葉を思い出させます。
「事実というものは歴史家が呼びかけた時だけに語るものだ」
もし寺子屋で経済学をやるとしたら陰謀論からスタートしたいと思っていますし(陰謀論を学ぶのではなく、陰謀論をイントロダクションにするということです。陰謀論には下世話な喜びと、抽象度の低い使命感と真面目さがあるので、楽しいのです。しかしそこで終わってしまっては絶望感が広がるだけです。もしくは世界の悲惨は誰かのせいでしかないという無責任を生みます。ニーチェでは無いですが、怪物と戦っているつもりで自身が歴史の中の悪しき怪物となるのです)、歴史で言えば、異端な歴史観からスタートしたいと思います。同じ材料(歴史的事実)でも組み合わせを変えるだけで(新事実発見などでなくとも)、面白く歴史を一望できるからです。
E・H・カーは「歴史の研究は原因の研究である」(E・H・カー「歴史とは何か」)と言います。同じく僕の好きな井沢元彦先生も「ものごとにはすべて因果関係があります。私はこの「因果関係」こそ、歴史をやるうえでもっとも意識すべきものだと思っています。」(井沢元彦「学校では教えてくれない歴史の授業」 p.35)と語ります。
井沢先生は歴史学者は歴史を知らないと言います。その根拠を一言で言えば、ゲーテの「外国語を1つでも知らないものは母国語を知らない」にあてはめていいます。もっとパラフレーズすれば、タコツボ化しすぎていて、通史を学ばず(高校以外では)、専門化が進みすぎていると言います。
要素だけに長けていても、全体が見えないのです。部分と全体が相照らし合うことが歴史においても不可欠ということです。
たとえば、井沢先生は生類憐れみの令を引き合いに出して、その歴史認識の誤り(我々が教えられてきた歴史観の誤りを示します)。
五代将軍綱吉が出し、犬の命を人の命より重んじた悪法として知られています(グリーンピースとか、シー・シェパードは喜びそうですが)。同時代の文献を見ても、綱吉批判ばかり、新井白石までもが批判しています。
しかし、歴史をタコツボではなく大きなスパンで見ると、綱吉の前後で大きく変わったことがあります。すなわち人が人を殺さなくなったということです。綱吉以前は戦国時代の余波があり、その価値観が支配していました。すなわち人を殺すことが良いことという価値観です。
(引用開始)
江戸初期は、些細なことでも人を斬り捨てるのが当たり前だったのだが、悪人すら殺せなくなる。この劇的な変化は何によって怒ったのかというと、「生類憐れみの令」なのです。
人を殺したら褒められる世界から、虫一匹殺しても犯罪の世界へ。この劇的な変化は、当時の人たちにとっては、それまでの価値観を否定されるに等しいので大きな反発を持ちます。だから、同時代の人が書いた史料に綱吉を褒めるものなどないのです。
(引用中断)
当時の史料だけでは見えてこない、原因と結果が俯瞰することによって見えてきます。まさにカーの言うとおり、「事実というものは歴史家が呼びかけた時だけに語るものだ」と思います。
人を殺したら褒められる世界から、虫一匹殺しても犯罪の世界へ、とはまさにパラダイム・シフトです。コペルニクス的転回です。
引用を続けます。
(引用再開)
最初は劇的なことも、その後に生まれた人には、それを当たり前と思って育ちます。恐らく、綱吉の治世後に生まれた子供たちは、侍というのは滅多に刀を抜かないし、たとえ奉公人が粗相をしたとしてもむやみやたらに斬り殺すのはいけないことだと思って育ったことでしょう。
そうした子供たちが大人になれば、もう社会全体にとって、それが当たり前になり、それを初めて変えた人間の功績は忘れられていきます。(略)
徳川綱吉はなぜ「生類憐れみの令」を出したのか。
それは、当時の日本に蔓延していた、戦国時代以来の、人の命を軽視する殺伐とした空気を変えようとしたからでした。(略)
(引用中断)(太字は筆者、以下同じ)
綱吉がどこまで意図していたのかということは大きな問題ではないのです。その歴史的な機能がどう果たされたかが重要です。
(引用再開)
綱吉がやったことの意味を、同時代の文献だけで測ることはできません。その本当の意味は、綱吉がそれをやった結果、世の中がどのように変化したかを長いスパンで見ることによって、初めて見えてくるからです。
(引用終了)
ハイゼンベルクの自伝「部分と全体」ではないですが、その部分に細部にこだわることと、全体を俯瞰して見ることの両方が必要です。要素とゲシュタルトと同じです。双方が必要だということです。井沢先生も議論の踏み台には文献の引用をされます。これは細部であり、部分です。しかしそれに拘泥してはいけないということです。
興味深いのは、「そうした子供たちが大人になれば、もう社会全体にとって、それが当たり前になり、それを初めて変えた人間の功績は忘れられていきます。」という箇所です。
まさにパラダイム・シフトです。
パラダイム・シフトさせた人間は最初、批判され、しばらくして褒め称えられ、そしてすぐに忘れられます。僕はフェルマーやマクスウェルが思い浮かびます。そして気の毒なガリレオが。偉大な人間の直後に、お調子者の人気者が出てきて全てをさらっていきます(ニュートンやら、アインシュタインやらと言っては言い過ぎでしょうか、いや言い過ぎです)。
E・H・カーはメタ数学ならぬメタ歴史の視点を見せてくれますが、メタ数学の第一人者である我らがチャイティンはこう言います。
(引用開始)
必要なのは、新しいアイデアだけなのだ。あなたは着想を得て、新しい観点を発展させるために気狂いのように研究すればよい。はじめのうちは叩かれるだろう。だが、その観点が正しかったら、誰もが結局は、それが問題を考えるためのよりよい方法であることは明らかだったと、あたなの貢献は大してなかったと言い出すのだ。ある意味で、それこそ偉大な報酬だ。
(引用中断)(メタマス!p.15)
ここで言う「あなた」を綱吉に変えてみると、同じことが書かれています。
綱吉は新しい着想を得て、その新しい観点を発展させるために気狂いのように政策を推し進めた。はじめのうちは新井白石からも批判されたが、その観点が正しく、命は大事にされることが重要だということが理解されると、そんなことは当たり前だ、綱吉の貢献は大してなかったと大衆は言い出す。
しかし、「ある意味で、それこそ偉大な報酬」なのです。
チャイティンは続けて、その偉大なる1つの例としてガリレオを出しています。
(引用再開)
ある意味で、それこそ偉大な報酬だ。ガリレオに起こったのは、まさにこういうことだった。彼こそは、アイデアの歴史におけるこのような現象のいい例なのである。ガリレオがあんなに激しくも戦って勝ち得たパラダイムシフトは、今や絶対的に、完全に、まったく当然の事柄と思われていて、彼が実際にどれだけ多くの貢献をなしたかすら、今では理解できなくなっている。我々は、この問題に対して、他の方法で考えることなどできはしないのだ。
(引用終了)(pp.15-16)
まさに、
「事実というものは歴史家が呼びかけた時だけに語るものだ」
であり、
「理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まります。」
のだと思います(観測の対象が歴史であっても何であってもです)。
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理論があってはじめて、何を観測できるかということが決まる=事実は歴史家が呼びかけた時だけに語る
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