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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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数学も哲学もなしに、なにごとであれ深く極めることはできない(ライプニッツ)

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なにごとかを深く極めていこうと思えば、形式化が重要であり、そのツールとして数学が不可欠ですよ、ということは、現代に生きる我々の常識に属します。

だからこそ、数学は必須なのですが、「自分は数学ができる」と主張される方にしばしば知性を感じないのは、彼らが所詮出来の悪い計算機でしかないからです。

計算ドリルを頭を使わずに解き続けていたら、気付いたらオーバードクターだったのです。

偉大な数学者は多くいますが、偉大な計算機(コンピューター)は不要なのです。人間という生体コンピュターがシリコン・コンピュータに勝てたのは、フォン・ノイマンまででしょう。フォン・ノイマンすら、現在のiPhoneには勝てないでしょうし、勝つ必要もありません。

計算ドリルくんは古いのです。300年ほど昔に生まれればよかったのです。

ライプニッツはこう言います。

*豪華なライプニッツくんです。素敵です。

数学なしに、哲学を深く極めることはできない。
哲学なしに、数学を深く極めることはできない。
数学も哲学もなしに、なにごとであれ深く極めることはできない。


ですから、計算ドリルくんに伝えるべきは、哲学を学べということでしょう。

逆に哲学しか無い人に対しては数学をやれ、と言うしかないのでしょう。

ソーカルがおちょくったよう意味のないガラクタのような文章がまだまだたくさんあります。

ちなみに、ソーカル事件は後味悪い事件だと僕の先生はおっしゃっていましたが、僕はいまだにクソのような哲学もどき文章を書く人間に対して「ざまあみろ」としか思えないのは、人間が練れていないのでしょう。というか、そういう頭の不自由で偉そうな人々はそこから学ばないから後味が悪いのかもしれません。

ソーカル事件って何?という方はこちらを。これは何度かスクールなどでも取り上げているので周知とは思いますが。以下に一部を引用します。

(引用開始)
ソーカル事件(ソーカルじけん)とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル(Alan Sokal、1955年-)が起こした事件。数学・科学用語を権威付けとしてでたらめに使用した人文評論家を批判するために、同じように、科学用語と数式をちりばめた無意味な内容の疑似哲学論文を作成し、これを著名な評論誌に送ったところ、雑誌の編集者のチェックを経て掲載されたできごとを指す。掲載と同時にでたらめな疑似論文であったことを発表し、フランス現代思想系の人文批評への批判の一翼となった。
(引用終了)

これを非常に洗練された形で、示したのがC・P・スノーです。リンクは「熱力学の第2法則って何か知ってる?シェイクスピア読んだことある?~2つの文化とカーンアカデミー~ 2013-06-30

ちなみに、あわてて付け加えますが、哲学と数学は、日本人がぼんやりと信仰している文系vs理系の対立ではありません。ウィトゲンシュタインを見ても、いやデカルト自体も数学者であり、科学者であり、そして哲学を徹底的にDisる哲学者でした。少なくとも、現代においては哲学は理系の学問であり、数学で形式化して記述されます。哲学者のクリプキが様相論理の完全性を語ったのが、全米数学会であったのも象徴的です。哲学は数学で記述し、数学は哲学が不可欠です。それをメタ数学(メタマス)と言うかどうかはともかくとして。

では、我々は?

我々はライプニッツの言う3つ目の警告(というか事実の陳述ですね)に当たります。

数学も哲学もなしに、なにごとであれ深く極めることはできない。

数学も哲学も無い我々は、必死で数学と哲学を勉強するしかないのです。

計算する機械としてこの世に生を受けた(と文学的に表現される)我々は、なにごとかを深く極めたいと思っています。なぜなら「我、計算する、ゆえに、我あり」だからです。Cogito ergo sumです。

計算しない機械などは単なる重石でしかありません。

計算するとは「深く極める」ことです。

「まといのば」が寺子屋で実現したいのは、数学も哲学も無い我々は、数学と哲学を一緒にして炒めて食べてしまえば、1つずつ食べるよりもずっと美味しく、早く食べれるだろうということです。


*余談ですが、ライプニッツの手書き原稿です。2進法が見えますが、ちょっと感動的じゃないですか?


じゃあ、哲学って何?

というのも厄介な問題です。

厄介な問題はカンニングしましょう。

どうせ我々の灰色の脳細胞はきちんと動くことはありません。
ちなみに、ヘラクレスのフランス語読みの件の彼の口癖は「私の灰色の小さな脳細胞(little grey cells)が活動を始めた」は、見ようによってはミンスキーのエージェントを思い出します。頭を使えではなく、「あなたの灰色の脳細胞を使いなさい」なのです。いや、同じではないかと思えるかもしれませんが、自分が考えるのではなく、灰色の小さな細胞に活動させるのです。


で、たとえば、いま受験勉強をしていたとして、問題集をガリガリお勉強していて、これはかなわないという問題があったら、さっさと回答を見るに限ります。下手の考え休むに似たりです。

というわけで、我々も回答集を見ましょう。

解答と解説を開いてみると、こう書いてあります。
ちなみに、我々の質問は「哲学って何?」です。

で、この質問は何度かしています(たとえばこちらの記事を参照してください「実験は実験でも思考実験?! 気功技術ってアインシュタインの言う思考実験なの? 2013-10-25」


(引用開始)
哲学はこの偉大な本に書かれており、
われらの目の前に開かれている

(引用終了)

回答者はガリレオ先生です。
ガリレオ先生というと福山雅治が浮かびますが、違います。

偉大な本とは何でしょう。



それは「宇宙」です。



冒頭から再び引用します。ガリレオです。

(引用開始)
哲学はこの偉大な本に書かれており、
われらの目の前に開かれている(私は宇宙のことを言っている)

しかし、書かれている文字とその言葉とを理解できるように学ばずには、
この本を理解することはできない。

それは数学の言葉で書かれ、
その文字は、三角形、円などの幾何学図形であり、
これらなしには、人間が、一言たりとも理解することはかなわない。
これらなしには、手がかりもなく、暗闇の迷路に書かれた謎に留まる。

(引用終了)

哲学は偉大な本に書いてあり、それは目の前に開かれている、ということと同じことを僕も耳にしたことがあります。本など読まなくて良い、すべては目の前に書かれている、と(ただ僕らは目が悪いので、目の前に書かれていても読めません。書かれていても読めないのです。視力を取り戻すには、学ぶしかないのです、死力を尽くして)。

で。その宇宙という本なり巻物を読むためには、数学が必要ということです。

ここで、「いやいや、当時は科学という言葉はなく、ニュートンもガリレオも自然哲学として科学をしていたんですよ」みたいな知ったかぶった反論が来るとは思いますが、それは歴史的な事実ですが、「So, what?」なのです。「で?」、その反論が議論全体に何か影響を与えるのでしょうか。現代物理学においても、哲学が主要な問題です。世界観が、ローレンツがなぜアインシュタインになれなかったかと言えば、哲学の問題です。ミンコフスキーの偉大さはカントを否定し、新しい時空という概念を生み出したその哲学によります。量子力学の最大の論戦は、方程式ではなく、その解釈です。解釈は哲学から生まれます。

なにごとかを深く極めたいと思う我々は、数学と哲学をざっくりと素早く学んでいきましょう。
そうすれば目の前の宇宙という偉大な本が多くの叡智をもたらせてくれます。
それは宝石箱をひっくり返したように素晴らしい体験です(多分)。

楽しく疾走しましょう!


3月の寺子屋は数学!


【引用文献&推奨文献】
引用文献というか、繰り返し出てきますが必読文献です!
黒い本ばかりだったのに、突然赤いチャイティン先生の素敵な本です。
「星の王子さま」並に名言の宝庫です。
この一冊だけで一生愉しめるのではと思ってしまいます。
今回のライプニッツとガリレオの言葉もここから引きました(扉のp.3です)。

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