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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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地動説を信じながら「日が昇る」と言ったことのない者のみ、道士でなく気功を語るものに石を投げよ

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「スピリチュアリズムと気功の区別がつきません」と言われることがありますが、これはクワインのクワス算と同じです。
それがGreenに見える人と、Blueに見える人が両立いるということです。
スピリチュアリズムと気功の区別がつく人はいわば懐疑論者であり、スピリチュアリズムと気功が同じ人が大多数です。

しかし、我々はパラダイム・シフト後の世界にいる懐疑論者でありたいと思っています。

すなわち、かつて気功と呼んでいて、いまはかつての伝統的な気功とは似ても似つかないものを指して現在「気功」と呼ばれており、なおかつ、それはかつての伝統的な気功とは異なるものです。
分析哲学、認知科学や現代物理学の宇宙に対する認識にパラダイム・シフトしている人は、it from bit(ジョン・ホイラー;ブラックホールも命名してます)を理解しており、かつ体感しています。それゆえ情報を体感(高い臨場感で)をもって操作すると、物理的現実とかつて呼んでいたような抽象度の情報も連動して操作されうるということが分かっています。
これは認知科学の用語で言えば、内部表現書き換えです。

ですので、現代人が「気功」と言ったときは、かつての道教による「気功」もしくは導引術や布気とは何の関係もありません。ただ名前を用いているだけです。

「日が昇る」と言っても、天動説の世界の住人のように地球が宇宙空間で絶対静止していて、太陽が地球のまわりを回っている(=日が昇る)とは、現代人(地動説)は考えません。ですが、天動説の人と地動説の人は同じように「日が昇る」と慣用的に使います。

気功も同様です。「気功」と言った時に、伝統的な道教の秘伝としての意味ではなく、宇宙は巨大な量子コンピューターであり、我々は観測によって(それは脳内でも、感覚器官でも)確率論的にモノを生じさせるということを確信的にやっているその作業を指しています。似て非なるものです。いや、似てもいません。

では、紛らわしいので「気功」という言葉を使うなという人もいるでしょう。
それはそれで1つの意見です。たしかに紛らわしいとも言えます。
ただじゃあ新しい用語を作れば問題は解決するかと言えば、そうでもありません。
霊気由来のReikiのようなもので、新しいスピリチュアリズムを作るだけです。

天動説から地動説へ移動した人は、「日が昇る」と言わないで、「今日も地球の自転によって、太陽との相対位置が変わり、太陽が目視できなくなったね」とでも日没のとき言えばいいのでしょうか。僕らは地動説を確信していることを前提としつつ、日没、日の出、日が昇るという古い表現を使っています。気功という用語も同様です。異なる意味で使う2つの集団がいるのは事実ですが、どうせ重なり合わないので、大丈夫です。

「日の出、日没、日が昇る」などの言葉はかつて天動説であったときの言葉の意味とは異なります。でも、「それが何?」でしょう。気功とか、ヒーリングとか、伝授とか、気功技術という用語も同様です。
従来の伝統的な意味(パラダイム)のままで使うならば、それはオカルトであり、スピリチュアリズムでしかありません。

我々が目指すべきは、脳のアップデートです。



「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」ヨハネ8章7節


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