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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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科学と魔術は同じ信念を共有している(チャイティン)

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3期のヒーラー養成スクールでしたか、大阪で開催した養成スクールBasicでもテーマになりましたが、ヤヌスという考え方を「まといのば」では導入しました。
端的に言えば、科学合理主義者と魔術師の2つの矛盾する顔を持つということです。



「ヤヌス」というのはシンプルな話で、2つの顔を持つということです。
1月という意味のJanuaryはヤヌスから来ています。1年の始まりと終わりの両方を見ます。

我々がヤヌス神として見ているのは、一方で合理的で論理的で知性の粋である現代科学であり学問の世界、もう一方で伝統的であり、呪術的であり、魔術的であり、オカルト的な世界です。
片方は冷たく、片方は温かく、片方は圧倒的なIQで構築されたfragileな伽藍であり、片方は泥の塊ですが堅牢です。

そのヤヌスに関してシンプルな概念図を書きました(ここでお見せできればいいのですが)。そこでは、科学とオカルトは完全に切り離された世界ながら上と下では通底していると話しました。
下ではたしかに通底しているでしょう。科学というのは少し古ければ、それは神話や伝説と大差は無いからです(いや、厳密には現在の科学も未来から見れば、こんな感じでしょう↓)


*まあこれ自体は近代の捏造という説もあるので。こちらで↓



ただ未来の視点を前提とした議論はおかしなパラドックスを引き起こすので、科学は宇宙観としては現在のところ暫定的トップだとみなして良いかと思います。

まあ、ともかく、科学v.s.オカルト(魔術・呪術)の二項対立を頭の中で飼っておいたほうが良いというススメです。
というのは、「自分がやっている気功は科学なんだ!」と思ってしまうと、一気にオカルトやらスピリチュアリズムの罠に堕ちてしまうということです。気功も科学も手をすり抜けて落ちていってしまいます。
それよりは「自分は科学は好きだし、論理的な思考と合理性を信奉するけれども、やっていることはオカルティストなんだ」と宮沢賢治のよだか(よだかの星)のように嘆くならば良いですし、もしくは聖書において胸を打ちながら懺悔する徴税人のようであるほうが良いということです(Luke18:13

では、どのへんで魔術と科学は通底しているのでしょう。

昨晩、チャイティンの「知の限界」を読み返していたら、面白い記述が目に飛び込んできました。

(引用開始)
科学と魔術とは、通常の現実が本当の現実ではない、日常の見かけの後ろにより基本的な何かが潜んでいるという信念を共有しています。どちらも、隠れた秘密の知識の基本的な重要性に関する信頼を共有しています。物理学者は、万物理論(TOE)を探し続けています。そして、カバラ信者は、あらゆることの理解の秘密の名前を探し求めています。ある意味で、両者は仲間であり、どちらも、秘密の意味は存在しないとか、最終理論はないとか言う考えには耐えられません。そして、物事が全く任意で、ランダムで、無意味で、圧縮不能で、理解不能であるという考えに耐えられません。
(引用終了)(知の限界 チャイティン p.129)

すなわち、チャイティンにおいては科学者と魔法使い(というべきか)はある意味では仲間であるのです。
なぜなら両者とも「通常の現実が本当の現実ではない、日常の見かけの後ろにより基本的な何かが潜んでいるという信念を共有」しているからです。これは非常に納得の行く話です。そして両者が忌避するのが「秘密の意味は存在しないとか、最終理論はないとか言う考えには耐えられません。そして、物事が全く任意で、ランダムで、無意味で、圧縮不能で、理解不能であるという考え」です。

その上でチャイティンが言いたいのはもちろんその忌避すべきいわば禁忌こそが、宇宙の原理であることを自分が示したということです。

それが高らかな宣言につながります。

(引用開始)
私は、神が、物理学ばかりでなく、純粋数学においても、自然数論においてさえ、サイコロをふることを証明した。
(引用終了)
*この引用は寺子屋「ゲーデルの不完全性定理」で用いたものですが、レジュメ作成時に引用元を記載し忘れたために、いま探しているのですが見つかりません。おそらくは「知の限界」だと思うのですが、もしかしたら違うかもしれません。見つかり次第、引用元を示します。


もちろん、神が物理学においてサイコロを降ることを示したのは量子力学でした。量子力学の生みの親の1人は明らかにアインシュタインなのですが、アインシュタインはその子を認知することはありませんでした(神はサイコロを振らない)。それに対してボーアが「ボーアは「"Einstein, schreiben Sie Gott nicht vor, was er zu tun hat."アインシュタインよ、神が何をなさるかなど、注文をつけるべきではない」と返したという逸話がありますが、その言い合いを尻目に量子力学は淡々と進歩し、そして神はサイコロしか振らないことが明らかになりました(その第一歩で決定的だったのが、ハイゼンベルクの不確定性原理です)。

余談ですが、不完全性定理と不確定性原理についてその似た名前だけを上っ面だけとらえて、「似ている」と語るのは避けるべきでしょうが、しかし、それがホィラーやチャイティンやゲーデルであるならば、議論する資格があると言えるでしょう(議論する資格はもちろん誰にでもあり、それを「思想・良心の自由」であり「表現の自由」と言いますが。それが傾聴に値するかがいつも問題に成ります。我々は有限の時間を生きているので)。この件については、稿を改めます。


【書籍紹介】
いつもながらおなじみの引用元です。
本当に名著です。

知の限界/エスアイビー・アクセス

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