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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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科学革命はこれまで、知識の革命ではなかった。何よりも無知の革命だった(ユヴァル・ノア・ハラリ)

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「コップが、もしブロックだったら、水を注げないよね」というのが、老子の主張です。ブロックの中がくり抜かれてて、そこが中空だからこそ、そこが無だからこそ、水が入ると。

車輪もスポークがあって、その中心が無だからこそ(空っぽというか、空いているからこそ)車軸が通って、車輪として機能するよね、と老子は言います。

有があるから、意味があるような気がするけど、無があってはじめて有が活きてくるという逆転の発想というか、頓知のような感じです。



寺子屋「はじめての漢文」でもお馴染みの『老子』からの引用です。

三十輻共一轂 當其無、有車之用(老子11章)

三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。其の無に当たりて、車の用あり 

(30本のスポークが一つのハブにつながっている。ハブは円筒状で中空だからこそ、車輪は役に立つよね)




老子に言及する人は多くいますが、きちんと読んだことがある人は多くありません。

余談ながら、、、老子は『資本論』(マルクス)や『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)や『ドン・キホーテ』(セルバンテス)ではありません。
どちらかと言えば『論理哲学論考』(ウィトゲンシュタイン)です。
何が言いたいかと言えば、とても短くて、ほぼ一瞬で読めるということです。
(一応、確認ですが、書籍というのは数年かけて読むものです。街の本屋さんなるところに多く並べられているのは現代にふさわしいものです。口で即座に溶ける砂糖菓子のようなものです)

デカルトの『方法序説』とか『ソクラテスの弁明』(プラトン)と同じです。
サクッと読んでおきましょう。
ナーガルジュナの『中論』なども同様です。あまりの薄さに驚かされます。

ちなみに、方法序説やソクラテスの弁明や中論はもう書籍というよりは、パンフレットのレベルです。
ちなみに多くの人が尻込みする聖書とやらも、パンフレットです。
あの電話帳みたいな分厚さのほとんどはヘブライ語聖書です。

ざっくりとした言い方ですが、まず大事なのは福音書です。
福音書も似たような話が4つあるので、一つを押さえればいいです。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネのうちで読みやすいのは多分ルカです。
後から書かれただけあって、物語性が強められています。
福音書は平たく言えば、イエスの一生です。伝記ですね。

マタイ、マルコ、ルカはそっくりです。そっくりというか、パクられたと言われています(共観福音書)。
ですので、一つ読んでおけば、他はほぼ「以下同文」ですので、省エネで飛ばしていけます。
ルカを読んで、マタイ、マルコを読めば読みやすいでしょうし、ルカ伝は薄すぎてほぼパンフレットです。




間違っても「カッコ良さそうだから、俺は『ヨハネの黙示録』から行くぜ!」とかやめましょう。
あれは黙示文学というラリった白昼夢の自動書記ですw

福音書の福音もエヴァンゲリオンですので、かっこいいです(たぶん)。
エヴァンゲリオンとはそもそもギリシャ語のεὐαγγέλιονから来ます。
でも英訳すると、、、、Good newsです。なんかペラペラな感じになりますね。
そう考えると「福音」ってうまい訳な気がします。


ですのでまちがっても黙示録とかから入らずに、福音書から入りましょう。それもヨハネは後回しで良いです。
ヨハネはちょっと宗教チックになります。「はじめに言葉ありき」とギリシャ哲学のサマライズから入るあたりも、視野が広いのです。

まあ、四冊のパンフレットのどれからスタートしてもOKです。
ちなみに旧約も見ておきたい!という怖いもの知らずな人は、、、たとえば創世記だけ読んでおきます。もうあまりに有名な話がオンパレードで、アカデミー賞授賞式みたいな感じです(有名俳優が所狭しといます)。

楽しいです。

それから神様が悪魔と仲が良い鬼畜だってことがよくわかるヨブ記は是非、読んでおいてください。
それだけでも読んでいない人にはドヤ顔できます(きっと)。

ヨブ記と老子は似ています。
老子には有名な「天地は仁ならず。万物をもって芻狗となす」があります。ヨブ記を見ていると良く分かります。ギャンブルの駒として人間を扱っています。
芻狗とはわらの犬のことです。お祭りに使う藁で作った犬です。
同じく聖人にも仁愛はなく、民衆を芻狗となすのです。



デカルトの方法序説は「Cogito ergo sum(我思う故に我あり)」で有名すぎますが、哲学書というよりは本当にパンフレットです。
彼自身「これはパンフレットだよ」という意味のことを言っていた気がします。
いろいろデカルトくんの本音がぶちまけれられていて面白いです(「哲学者は馬鹿ばかり」とかw「抽象度の高いことを言うと、迫害されるばかりか、殺されるからもう言わない」とか)。




福音書も方法序説も、老子も論理哲学論考も中論も一瞬で読めるのでサクッと読んでおきましょう。
ソクラテスの弁明も同様です。

ほとんどの重要な書物は分厚く巨大です。もう進撃の巨人も真っ青な巨大な壁です。
でも、かなりビッグネームで多くの人が読んでないのに、あっさり読めちゃうという攻略が楽でリターンが大きい掘り出し物もあるものです。

それがこれらのラインナップです。


話を戻します。

車輪の話しで思い出すのは、大学時代の宗教学のクラスです。
テーマは平たく言えば「虚無の信仰」。
東洋思想の中心には虚無がある、そうです。車輪の中心に無があるように、です。

虚無とはNothingnessです。

英語で開講されていました。猛烈なスコティッシュ訛の先生で、その先生が機関銃のように話すのですが、内容も発音もちんぷんかんぷん。
でも、それが数時間続くと、だんだんと発音も内容も聞き取れてくるのが不思議でした。まさにリアルなトータルイマージョンw(眠気との闘いでしたが)。

たとえば目というのは心の窓などと言いますが、目自体はただの水晶体であり、何も表情がありません。ただそのただの水晶体という静止を利用して、周りの情報を整理するので、目は心の窓と認識されます。中心にある水晶体が情報としてはNothingnessだからこそ可能なことです。


西洋が東洋思想を受容する過程で最初は興味本位なオリエンタリズムな感じで、そのうちに中身を知るようになると恐怖に変わります。
それは仏教という宗教が神を否定する宗教だからです。
そして神無き宗教ということで、悪魔の宗教などと言われたりもしました。
自分の不理解を棚に上げて、好きなことを言うものです。
悪魔の宗教が、もう少し理解が進むと虚無の信仰と変わります。
我々は虚無と言わずに「空」と言います。



閑話休題



ソクラテスは無知の知と言いましたが、まさにイグノランスを自分の中心に、そして世界の中心に置くことが大事です。

科学の視点から批判してくる人も、科学自体を批判してくる人も、僕には同じに見えるのは、この点です。

すなわち、科学は無知の革命であったという視点が欠けているのです。
科学は宗教なのかもしれませんが、その教義の中心にはポッカリと大きな穴が空いているのです。
黒くて深い深い穴が空いているのです。
そしてその穴に目を背けないところからスタートするからこそ、科学は空前絶後の成功をおさめたのです。

その穴、その虚無とは無知ということです。


かつてのヒーラー養成スクールでは、最初に不完全性定理と不確定性原理について学びました。
「我々は知ることができない」という点を認めない限りは、先へ進めないのです。

平たく言えば「自分の無知を認める」ということです。
そしてもっと言えば、世界には知ることができないことがあるということです。


アカシックレコードや全知に対する夢を放り投げない限りは、大人になれません。裸の猿のまま終わります。

たしかに「まといのば」では、魔術も呪術も扱いますし、セフィロトやカバラ、タルムードと言ったキーワードを活用します。

しかし、、、、その本質は知識ではなく、方法論ということです。
その本質をさらっと言えば「なんと書いてあるか。あなたはどう読むか」(ルカ10:26)です。


「古の伝えにすべての知識があり、それを我々は忘れてしまったが、思い出せば圧倒的な能力が手に入る」、、、、みたいな幻想は半分あっていますが、半分間違っています。

間違っている半分は、「すべての知識がある」というところです。
合っている半分は、温故知新によって「圧倒的な能力が手に入る」ということです。


トーラー、タルムード、そしてミシュナーやゲマラーを我々が学ぶときに、その内容を精査すると、、、正直「馬鹿なの」と思います。

おっちょこちょいの神様が非常に適当な感じで岩に律法を刻まれたので、律法を守れと言われても、どう守るのが正しいのかずっと議論してしまいました、というのがミシュナーやゲマラーというタルムードの伝統です。


*「このiPadPro、電源落ちるの早すぎ!」と神様がお手ずから彫り、お手ずから渡された石版を壊したモーセ(割ったのは実話。出エジプト記32:19



申命記をちらっと覗いてみましょう。

6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。

6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、

6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、

6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。

申命記6:4-9)

これに対して、天才たちが喧々諤々の議論をします。
いやユダヤ教徒たちもそれにまじり喧々諤々の議論をします、、、、2000年以上。

(引用開始)
一 夕方はいつからシェマアを唱えるのか。祭司らが〔家に〕入り〔聖なる〕献げ物を口にする時刻から、第一当直の終了時までに〔唱えるべきである〕。これはラビ・エリエゼルの言葉である。しかし賢者たちは「夜半までに」と言う。ラバン・ガマリエルは「夜が明けるまで」と言う。あるときその息子たちが祝宴から〔夜半すぎに〕帰宅して、わたしたちはシェマアを唱えませんでしたと彼に言った。そこで彼らに言った。もしまだ夜が明けていないならば、あなたがたは唱えなけれならない。単にこのことのみにとどまらず、賢者たちが「夜半までに」と指示するあらゆることは、夜が明けるまでに義務づけられている。〔たとえば焼き尽くす献げ物の〕脂肪および他の部分の焼却は、夜が明けるまでに済まさなければならない。さらに、すべてその日のうちに食べなければならない、とは、夜の明けるまでに食べなければならないということである。もしそうであるならば、賢者たちはなぜ「夜半までに」と言ったのであろうか。〔それは〕人を罪から遠ざけるためである。(略)

三 シャンマイ派は言う。夕方すべての人は横たわって〔シェマアを〕唱え、朝には起立して唱えるべきである。「あなたが寝ているときも、起きているときも」(申六・七)といわれている。しかし、ヒレル派は言う。すべての人は各自それぞれの方法で唱えればよい。「あなたが道を歩くときも」(同上)といわれているのだから。もしそうであるならば、なぜ「あなたが寝ているときも、起きているときも」といわれているのか。それは、人びとが寝ている時間にも起きている時間にも、という意味である。ラビ・タルフォンは語った。わたしがかつてたまたま道を行くとき〔シェマアを〕唱えるためにシャンマイ派の言葉にしたがって身を横たえたことがあった。その際、盗賊に襲われる身の危険にさらされた。人びとは彼に言った。あなたはヒレル派の言葉に背いたのだから、そのような災難を見に招いたのは当然である、と。
(ミシュナー Ⅰ ゼライーム pp.10-14)



端的に言えば、ここに知識も智慧もないのです。


ただ、、、、方法論があるのです。


知識 → 方法論


というシフトがきわめて重要で、きわめて本質的だと思います。

そしてそのシフトをするためにも、「我々は何も知らない」という楔を打ち込むべきなのです。

耳障りの言い「答えは全部自分の内にある」みたいな戯言に耳を貸さないことです。
あるはずもないのです。
少なくとも知識に関しては、そうです。

たとえば最先端のロケット工学について、もしくは偏微分方程式の解について幼稚園児の心の中にすでに存在すると考えるようなものです。
しかし、多くの人はそう考えがちなようです。

ちなみに、たとえば上記の命題が妥当するのは、Goalに関してのみです。Want toかHave toかゴールか否かは本人しか決めようがないのです(でも「ある」のではなく、「決める」のです。その決定が過去にさかのぼって、過去を書き換えて、Missionとなり、自分はこの道のために歩いてきという感覚につながるのです。それは未来による過去の書き換えです)。


我々の知識の中心には深くて暗い無知の穴がポッカリと口をあけて待っていると知ることが重要です。

これは科学を志す人ではなくても同じです。

(引用開始)
科学革命はこれまで、知識の革命ではなかった。何よりも、無知の革命だった。科学革命の発端は、人類は自らにとって最も重要な疑問の数々の答えを知らないという、重大な発見だった。(引用終了)(ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』)

たとえば寺子屋で宇宙論をやるときもこの感覚をきわめて重視しています。

知れば知る程我々の無知の境界線が高速度で広がり、増大するのです。

知れば知る程、無知が深まるのです。

かつての方が、宇宙について自分は知っているという感覚を持てたのです。
いまや宇宙創生1秒後以降のことについてすらよく知っているのに、科学者たちは無知の闇の中でもがいています。



谷川俊太郎の成長という詩を思い出します(以前も紹介しました。三才 私に過去はなかった 五才 私の過去は昨日まで(谷川俊太郎) 2014-02-23

(引用開始)
三才
私に過去はなかった

五才 
私の過去は昨日まで

七才
私の過去はちょんまげまで

十二才
私の過去は恐竜まで

十四才
私の過去は教科書どおり

十六才
私の過去の無限をこわごわみつめ

十八才
私は時の何かを知らない


(「生長」谷川俊太郎)(引用終了)



我々は無知の無限をこわごわみつめ、我々は「知識」の何かを知らない、、のです。


そして逆説的ながら、この自分の中心に無知を置く感覚こそが、圧倒的な成長をもたらしてくれます。自己否定の感覚です。



【書籍紹介】

というわけで、本稿で紹介した本のアマゾンリンクを貼ります!
ガツガツ読んでおいてください!

老子 (岩波文庫)/岩波書店

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論理哲学論考 (岩波文庫)/岩波書店

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余談ですが、僕はこちらで読みました↓
ウィトゲンシュタイン全集 1 論理哲学論考/大修館書店

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方法序説 (岩波文庫)/岩波書店

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抵抗があるという人は、まずは漫画でならしておくのも良いかもしれません。

方法序説 (まんがで読破)/イースト・プレス

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ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)/岩波書店

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中村元先生の翻訳がベストです。
中村元先生の声で読みましょう!!


♬まなぶこと少ない者は牛のように老いる♬


龍樹 (講談社学術文庫)/講談社

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ちなみにタイトルと本文の引用はこちらからです。
上下巻ですが、キンドルなら合本版がオススメです。
かなりアクが強いのですが、高い抽象度で世界を観るとは、市井の人間から離れていくということです。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福/河出書房新社

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書籍紹介の後半は次の記事にします!!
(記事の文字数オーバーのため。まさに文字通り「余白が足りない」)


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