バカラのグラスを割ったことがありますか?
王者のグラスと言われ、王室や皇室の御用達である高級クリスタルのメーカーがバカラ(Bacarat)です。エリゼ宮の晩餐では必ずバカラのグラスが使用されます。
子供の頃は食器を洗っていて、グラスを間違って割ったりするものですが、大人になるとさすがに割ることは少なくなります。
しかし、、、、バカラは割れます(TOT)
高級品というのは脆いものです。
逆に100円ショップで買った食器は13階から落としても割れなそうです(いやさすがに割れるか、というかむしろ落とさないし)。
バカラは芸術品とも言えるガラス細工なので、とても割れやすいです。
(ちなみに製造されたバカラのうち、店頭に並ぶのは6〜7割だそうです。他はすべて破棄されます。品質基準がきわめて高いからです、、、すごすぎ)。
*使用人の僕が割ったグラスに、ボスは一言「(バカラが割れたと聞いて)心臓が止まるかと思ったわよ」と言って、翌日高島屋に発注していました。ちょっと特殊なグラスなので輸入しないと手に入らないやつでした。本当にすみませんm(_ _)m
*その点、四谷怪談の番町皿屋敷は酷いです。皿一枚で自殺に追い込むのはありえません。
東洋の神話というか物語だったかと思うのですが、ある聖人のお気に入りのグラスがありました。
バカラみたいなものです。
ブルーのすこぶる美しいグラスだったように記憶しています。訪ねてくる人に見せるくらいに好きなグラスだったそうです。
それをある日、使用人が謝って割ってしまいました。
そのとき聖人は怒りもせず、こう言ったそうです。
「わたしは、そのグラスを日にかざしてその美しさを眺めているときですら、私の心の中ではすでに割れていたのだよ」と。
このマインドセットこそが、今回の反脆弱性(antiflagile)のひとつのポイントです。
僕はこの物語に仏教学者の中村元先生のエピソードを思い出します。
中村元先生はこのブログでもお馴染みです。
中村元先生ってどういう人と思う方はこちらをご覧ください。
*もう憑依したのかというくらい真似できるくらい繰り返し視聴してくださいw
その中村元先生がおよそ20年かけて一人で執筆した辞典があります。
当時はパソコンがあるわけでもなく、バックアップもありません。コピー機なるものも無かったかもしれません。
手書きの原稿です。
その原稿を受け取った編集者があろうことか、その貴重な原稿を紛失します。
20年です。20年が紛失します。
僕なぞはアメブロで記事を書いていて、操作を誤って全部消してしまっても、怒りと動揺が続きます。中村元先生のことを考えると、そんな自分が本当に芥子粒のように小さく見えますw
20年かけて精魂込めて書き上げた原稿を紛失されたら、さすがに怒っても良さそうなものですが、そこはまさに仏教哲学を研究し、それを実践している人らしい対応です。
「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」と良い、翌日から再び書き直したそうです。
グラスであっても、原稿であっても、Nihil Perditi(何も失ってはいません)というマインドセットが重要です。
富も地位も名誉も原稿もバカラのグラスも失われるものは、そもそも所有していないのです。だから失うこともない。
もしくはその美しさを堪能する瞬間も、心の中ではすでに砕けているのです。
そして心の中で無残に砕けているからこそ、いまこの瞬間のグラスの美しさを奇跡として味わえるのです。
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蛇足ながら、、、
タレブは「強さと脆さ」の最後にこんな話を書いています。
スティルポーンの国が攻め滅ぼされ、スティルポーンの妻子が殺されます。
そのとき、スティルポーンが「どんなものを失ったか」と問われます。
国を失い、権力も富も失い、最愛の妻子すら失います。
しかし、彼はこう答えます。
Nihil Perditi(何も失ってはいません)
Ominia mecum sunt!(私のものはすべて私の中にある)
アパティアです。
奪われる可能性のあるものは自分のものではないということです。
地位も富も名声も美しいグラスと同じで自分のものではなく、だから失うこともないのです。
昨日のセミナーでも言及しましたが、それは自分の命も同様です。
ジョブズはそれゆえ「今日が人生最後の日であれば、どう決断するか」と毎朝自分に問いました。
(ガンジーは「今日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ」と言いました。学ぶときは永遠の生を思わないと学べないものですw)
ソクラテスもセネカも大衆とネロにそれぞれ死を賜り、決然と自殺します。生すらも自分のものでは無いのです(反脆弱なおばあちゃんの知恵袋で言えば、それを「生かされている」と言うのでしょう)。
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バカラ(Bacarat)のグラスを割ったことがありますか?王者のグラスは脆いもの
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