*本日、はじめての気功「聖なる骨の調整」、そして木曜日はオンラインレコードの公開収録です!
LINE@へのたくさんの登録ありがとうございます!
懐かしい人やはじめましての方と多く会話ができて楽しかったです。
メッセージは気楽に送ってください。僕も気楽に返します(*^^*)
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もしくはLINE、LINE@から"@matoinoba"をID(@マーク含む)で検索していただくと見つかります。
次のスクールの告知や次のはじめての気功セミナー「聖なる呼吸」の告知もしなくてはと思いながら、なかなか時間が取れずにいます。すみません。
ちなみに最近の大ヒットは先日のヨーガスクールです。
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史上最強のヨガスクールを目指し、圧倒的な量のアーサナを高度なレベルで実現するというゴールを掲げましたが、それを次々とクリアされた受講生はブラボーです。
願わくば、そのまま身体のレベルアップを追求して欲しいと思います。
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カラクリや理論はともかくとして、自分の身体でできてしまえば、あとはその再現性を高めるだけです。
カラクリや理論が分かっても、それが机上の空論であったり、畳の上の水練にならないように、我々は実践を重んじる必要があります。
(「まといのば」では理論やカラクリを重視します。重視しますが、それ以上に実践を重視します。理論やカラクリというのは、脱洗脳のためと思ってください。常識からのリセットです)。
この世界は「出来たもの勝ち」なのです。
気功もそうですし、ヨガも、バレエもです。
「よくわからないけどできてしまった」というものです。
そもそも僕らはどうやって生きているのかと問われても、誰も答えられません。
ピルエットトリプル回っている人に、痩せたソクラテスがやってきて、「君のピルエットはどの筋肉をどう使っているか定義してみよ」とか言われても、そのソクラテスに力はありません。
(ソクラテスにその質問はどこから来るのか、その質問の定義は何かと問い直せば良いのでしょう)
そして解剖学にもまたその意味では、力がありません。
(解剖学に力があるのは、ある施術なり、ある技法が指し示しているぼんやりとしたものを解剖学的に定義づけるときです。解剖学は結果であり、原因にはなれません。それは生理学や栄養学も同じです。トップダウンではなく、どこまでも後追いであり、エピメテウスのごとく後智慧です。直観を証明していくときには科学は役に立ちます。その逆ではないだけです)
プラトン主義の罠にはまらないように、ともかく実践を重んじ、それ以上に夢を大きく描きましょう!
そしてその夢に突き動かされるようにして、日々生きていきましょう!
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史上最強のヨガスクールを目指し、圧倒的な量のアーサナを高度なレベルで実現するというゴールを掲げましたが、それを次々とクリアされた受講生はブラボーです。
願わくば、そのまま身体のレベルアップを追求して欲しいと思います。

カラクリや理論はともかくとして、自分の身体でできてしまえば、あとはその再現性を高めるだけです。
カラクリや理論が分かっても、それが机上の空論であったり、畳の上の水練にならないように、我々は実践を重んじる必要があります。
(「まといのば」では理論やカラクリを重視します。重視しますが、それ以上に実践を重視します。理論やカラクリというのは、脱洗脳のためと思ってください。常識からのリセットです)。
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「よくわからないけどできてしまった」というものです。
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(ソクラテスにその質問はどこから来るのか、その質問の定義は何かと問い直せば良いのでしょう)
そして解剖学にもまたその意味では、力がありません。
(解剖学に力があるのは、ある施術なり、ある技法が指し示しているぼんやりとしたものを解剖学的に定義づけるときです。解剖学は結果であり、原因にはなれません。それは生理学や栄養学も同じです。トップダウンではなく、どこまでも後追いであり、エピメテウスのごとく後智慧です。直観を証明していくときには科学は役に立ちます。その逆ではないだけです)
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