大転子といういわばありふれた部位を大天使のように役立つ存在に昇華させるには、正確に大転子を触ることです。
正確にです。
「なんとなくで、、、」はダメで、正確に触ります。
というか、これまでも「なんとなく」は大転子を認識してきたはずです(*^^*)
大転子という言葉が怪しくても、大腿骨というか太腿にある骨の存在は知っていたかと思います。
「なんとなく」の認識だと、「なんとなく」な結果しか出ません。
厳密さが大事です。
何度も大転子を触りながら、大腿骨を動かしたり、歩きながら大転子をずっと触っていると、ある瞬間に「分かった!」「大転子が分かった!」という感覚に襲われる時が来ます。
アルキメデスのユーレカです。
分かると、世界が一変します。
大転子を通じて、アンディオールも、引き上げも、脚の操作も、クンダリーニも明確になっていきます。
ただそのためには圧倒的な体感が必要です。
すなわち「いま、自分は大転子が分かった」という圧倒的な体感です。
(もちろんこれはひとつの体感であり、その先にはもっと『わかる」という次のフェイズが待っています)
この圧倒的な体感とは、アルキメデスのユーレカであり、ヘレン・ケラーの「Water」です!
たしかにそれまでにもヘレン・ケラーはWaterという言葉は知っており、綴ることもできました。ただそれは本人いわく「猿真似」でしかなかったのです。肉体をもたないぺらっぺらの知識だったのです。力を持たない知識です。
しかし、ある日、井戸のそばで全てが一変します。
そこで、体験したことがヘレン・ケラーの人生を変えます。
そこで自分の手の上を流れる冷たく素晴らしい存在と、ただの記号に過ぎなかったWaterという文字が強烈につながります。そのことで、ヘレン・ケラーの中で何かがスパークします。
ケルト神話におけるスピリットが封印を解かれて、飛び出した瞬間です。
だからこそ、ヘレン・ケラーは「家に戻ると、私の触るあらゆる対象が、まるで生命に溢れてうち震えているかのように思え」るのです。
魂たちが封印を解かれたのです。
そしれてこれは、ある瞬間、ある場所でしか絶対に起き得ないものです。
その物理的な場が必要であり、いわばパズルのピースがカチャッとはまるように厳密な情報空間の準備と、物理空間の場が必要なのです。
![]()
*ヘレン・ケラー
*ちなみにヘレン・ケラーの代名詞のように言われる「奇跡の人」とはヘレン・ケラーその人ではなく、ヘレン・ケラーに奇跡を起こしたサリバン先生のことを指します。
(引用開始)
だれかが水をくんでいるところでした。先生は私の手をその水の吹き出し口の下に置きました。冷たい水が片方の手の上をほとばしり流れている間、先生はもう片方の手に《water》という単語を、始めはゆっくりと、次には速く、綴りました。私はじっと立って、先生の指の動きに全神経を集中させました。突然私は、なにか忘れていたものについての微かな意識、わくわくするような思考のよみがえりを感じました。そして、どういうわけか、言語の持つ秘密が私に啓示されたのです。
私はその時、 w-a-t-e-r という綴りが、私の手の上を流れている、この素晴しい、冷たい物を意味していることを知ったのです。この生き生きとした単語が、私の魂を目覚めさせ、光と希望と喜びを与え、(暗黒の世界から)解き放ったのです。実のところ、まだ越えなければならない障害はありましたが、その障害もやがては取り払われるはずのものでした。
たまらないほど勉強したくなって、私は井戸小屋を去りました。すべての物が名前を持ち、各々の名前が新しい思想を産み出すのです。家に戻ると、私の触るあらゆる対象が、まるで生命に溢れてうち震えているかのように思えました。(引用終了)(ヘレン・ケラー『私の生涯』)
アルキメデスの「ユーレカ」にせよ、ヘレン・ケラーの「Water」にせよ、その強烈な体感というのは重要です。
![]()
*アルキメデス
ですので、大転子においても、「Water」体験をし、ユーレカ体験をしましょう。
そして、それは生涯に一度ですし、それ自体は起こる確率がきわめて低いということでは一種の奇跡のようなものです。
ヒーリングも同様です。
何らかの方法論やマニュアルがあって、そのとおりにやればうまくいくなどということはありません。
毎回、毎回、奇跡を起こすべく、必死でその瞬間、その場所を探し、ポランニーの言葉で言えば「隠された真実の接近を予期」しながら、がんばるしかないのです。
たとえば気功技術の伝授なども同様です。
伝授というのは単なるコピーでも、単なるインストールでも、単なる封入でもありません。
いや、技術的にはそれだけのものですが、その機会を奇貨として最大限に利用するのがヒーラーです。
ヒーラーは決してメッセージボーイでもなければ、宅配業者でもありません。
手持ちの気功技術をコピーして渡せば事足りるという発想ではアウトです。
どうクライアントに説明し、どのタイミングでどう渡すのが、その人にとって最適解なのかを必死で考えながら、適切な瞬間、適切な空間をギリギリまで探すことです。
サリバン先生は、適切な瞬間、適切な場所で、ヘレン・ケラーの手を井戸の吹き出し口の下に置き、冷たい水が流れている間に、もう片方の手に、最初はゆっくりと、次に素早くWaterと綴ります。
これは再現性など存在しない、一回きりの大勝負です。
それが毎度毎度なのが、ヒーラーの大変さであり、醍醐味です。
(それは受け取る側も同様です)
![]()
ですので、ヒーリングにせよ、伝授にせよ、適切な瞬間、適切な場所を探しましょう。
同様に、たかが大転子、されど大転子です。
大転子が分かれば、アンディオールも引き上げも、脚の操作も、センターも見えてきます。いや、相当にいろいろと見えてきます。
その先の可能性は圧倒的な広がりを持つのですが、そうは言っても適切な瞬間、適切な物理空間を逃すと、また闇の中に埋もれてしまいます。
逃したチャンスは二度と戻ることはなく、一度脳が受け入れてしまうと、その現実を上書きするには相当な腕力が必要となります。
ですので、細心の注意を払って、大転子に触りましょう!
何事もそうですが、楽しみつつ真剣に、適切な瞬間と場所を求めて、ひたすらにワークしましょう!!
そして、Waterなりユーレカの瞬間が訪れたときにつぶやきましょう。「かくしてわれわれが解放した魂は、死を乗り越え、再度われわれと共に生きる」と(*^^*)
本来、われわれは圧倒的に快適で高機能な身体なのです。
その「魂」は封印されているのです。
引き寄せられるようにして、その封印を解けば、身体は生まれ変わります!
その封印の第一歩として大転子は有効です!
正確に触れ、正確に操作してみましょう!
![]()
*羽ばたきましょう!
正確にです。
「なんとなくで、、、」はダメで、正確に触ります。
というか、これまでも「なんとなく」は大転子を認識してきたはずです(*^^*)
大転子という言葉が怪しくても、大腿骨というか太腿にある骨の存在は知っていたかと思います。
「なんとなく」の認識だと、「なんとなく」な結果しか出ません。
厳密さが大事です。
何度も大転子を触りながら、大腿骨を動かしたり、歩きながら大転子をずっと触っていると、ある瞬間に「分かった!」「大転子が分かった!」という感覚に襲われる時が来ます。
アルキメデスのユーレカです。
分かると、世界が一変します。
大転子を通じて、アンディオールも、引き上げも、脚の操作も、クンダリーニも明確になっていきます。
ただそのためには圧倒的な体感が必要です。
すなわち「いま、自分は大転子が分かった」という圧倒的な体感です。
(もちろんこれはひとつの体感であり、その先にはもっと『わかる」という次のフェイズが待っています)
この圧倒的な体感とは、アルキメデスのユーレカであり、ヘレン・ケラーの「Water」です!
たしかにそれまでにもヘレン・ケラーはWaterという言葉は知っており、綴ることもできました。ただそれは本人いわく「猿真似」でしかなかったのです。肉体をもたないぺらっぺらの知識だったのです。力を持たない知識です。
しかし、ある日、井戸のそばで全てが一変します。
そこで、体験したことがヘレン・ケラーの人生を変えます。
そこで自分の手の上を流れる冷たく素晴らしい存在と、ただの記号に過ぎなかったWaterという文字が強烈につながります。そのことで、ヘレン・ケラーの中で何かがスパークします。
ケルト神話におけるスピリットが封印を解かれて、飛び出した瞬間です。
だからこそ、ヘレン・ケラーは「家に戻ると、私の触るあらゆる対象が、まるで生命に溢れてうち震えているかのように思え」るのです。
魂たちが封印を解かれたのです。
そしれてこれは、ある瞬間、ある場所でしか絶対に起き得ないものです。
その物理的な場が必要であり、いわばパズルのピースがカチャッとはまるように厳密な情報空間の準備と、物理空間の場が必要なのです。

*ヘレン・ケラー
*ちなみにヘレン・ケラーの代名詞のように言われる「奇跡の人」とはヘレン・ケラーその人ではなく、ヘレン・ケラーに奇跡を起こしたサリバン先生のことを指します。
(引用開始)
だれかが水をくんでいるところでした。先生は私の手をその水の吹き出し口の下に置きました。冷たい水が片方の手の上をほとばしり流れている間、先生はもう片方の手に《water》という単語を、始めはゆっくりと、次には速く、綴りました。私はじっと立って、先生の指の動きに全神経を集中させました。突然私は、なにか忘れていたものについての微かな意識、わくわくするような思考のよみがえりを感じました。そして、どういうわけか、言語の持つ秘密が私に啓示されたのです。
私はその時、 w-a-t-e-r という綴りが、私の手の上を流れている、この素晴しい、冷たい物を意味していることを知ったのです。この生き生きとした単語が、私の魂を目覚めさせ、光と希望と喜びを与え、(暗黒の世界から)解き放ったのです。実のところ、まだ越えなければならない障害はありましたが、その障害もやがては取り払われるはずのものでした。
たまらないほど勉強したくなって、私は井戸小屋を去りました。すべての物が名前を持ち、各々の名前が新しい思想を産み出すのです。家に戻ると、私の触るあらゆる対象が、まるで生命に溢れてうち震えているかのように思えました。(引用終了)(ヘレン・ケラー『私の生涯』)
アルキメデスの「ユーレカ」にせよ、ヘレン・ケラーの「Water」にせよ、その強烈な体感というのは重要です。

*アルキメデス
ですので、大転子においても、「Water」体験をし、ユーレカ体験をしましょう。
そして、それは生涯に一度ですし、それ自体は起こる確率がきわめて低いということでは一種の奇跡のようなものです。
ヒーリングも同様です。
何らかの方法論やマニュアルがあって、そのとおりにやればうまくいくなどということはありません。
毎回、毎回、奇跡を起こすべく、必死でその瞬間、その場所を探し、ポランニーの言葉で言えば「隠された真実の接近を予期」しながら、がんばるしかないのです。
たとえば気功技術の伝授なども同様です。
伝授というのは単なるコピーでも、単なるインストールでも、単なる封入でもありません。
いや、技術的にはそれだけのものですが、その機会を奇貨として最大限に利用するのがヒーラーです。
ヒーラーは決してメッセージボーイでもなければ、宅配業者でもありません。
手持ちの気功技術をコピーして渡せば事足りるという発想ではアウトです。
どうクライアントに説明し、どのタイミングでどう渡すのが、その人にとって最適解なのかを必死で考えながら、適切な瞬間、適切な空間をギリギリまで探すことです。
サリバン先生は、適切な瞬間、適切な場所で、ヘレン・ケラーの手を井戸の吹き出し口の下に置き、冷たい水が流れている間に、もう片方の手に、最初はゆっくりと、次に素早くWaterと綴ります。
これは再現性など存在しない、一回きりの大勝負です。
それが毎度毎度なのが、ヒーラーの大変さであり、醍醐味です。
(それは受け取る側も同様です)

ですので、ヒーリングにせよ、伝授にせよ、適切な瞬間、適切な場所を探しましょう。
同様に、たかが大転子、されど大転子です。
大転子が分かれば、アンディオールも引き上げも、脚の操作も、センターも見えてきます。いや、相当にいろいろと見えてきます。
その先の可能性は圧倒的な広がりを持つのですが、そうは言っても適切な瞬間、適切な物理空間を逃すと、また闇の中に埋もれてしまいます。
逃したチャンスは二度と戻ることはなく、一度脳が受け入れてしまうと、その現実を上書きするには相当な腕力が必要となります。
ですので、細心の注意を払って、大転子に触りましょう!
何事もそうですが、楽しみつつ真剣に、適切な瞬間と場所を求めて、ひたすらにワークしましょう!!
そして、Waterなりユーレカの瞬間が訪れたときにつぶやきましょう。「かくしてわれわれが解放した魂は、死を乗り越え、再度われわれと共に生きる」と(*^^*)
本来、われわれは圧倒的に快適で高機能な身体なのです。
その「魂」は封印されているのです。
引き寄せられるようにして、その封印を解けば、身体は生まれ変わります!
その封印の第一歩として大転子は有効です!
正確に触れ、正確に操作してみましょう!

*羽ばたきましょう!