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Channel: 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ
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(追加開催決定!)【PPAP】奇跡も魔法もあるんだよ、、、、でも熱力学の第二法則もあるんだよ

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*明日の「はじめての気功 禁断のフィードバック術〜セルフOリング、キネシオロジーの秘密〜」の追加開催が決定です。
来週月曜日14日に追加開催します!!!

移動される方、大歓迎です。

もちろん明日への飛び込み参加も大歓迎です!!

スクール以外ではほぼ初公開となります!お楽しみに!!

お申込みはこちらから!!




ブームが去ってしまう前にPPAPについては取り上げなくてはと思うのですが(・_・;)

PPAPとは生産部品承認プロセス(Production Part Approval Process)ではもちろんなく、ビルボードにチャートインするわ、ギネスに乗るわしているあの楽曲のことです。

ペンパイナッポーアッポーペンです。




僕にとってヒットだったのは、リュークバージョンと、





もうひとつはWhite Jamヴァージョンです。





かわいいと思ったのはこちら


*身長は170センチだそうです(^o^)



*アッポーペンw
*蛇足ながら、アラン・ケイの言葉ですねー。



タイトルの「奇跡も魔法もあるんだよ」はもちろん今や古典となったまどマギからの名セリフ。

まどマギって何?という人は、まずは見てくださいw




ポイントは奇跡も魔法もあるという点です。
ただいわゆるオカルティックというか夢のような子供じみた「奇跡」や「魔法」と、アーサー・C・クラークの言う「十分に発達した科学技術」としての「奇跡」や「魔法」を「まといのば」では区別しています。

言葉を2つの意味で使うのは良くないと思いますし、その意味が二律背反的であればなおさらです。

でも、他に良い方法がないので、ネガティブな意味とポジティブな意味を文脈で判断してもらっています。


奇跡的なこと、魔術的なこと(魔法的なこと)は存在します。

気功をやっていると奇跡のようなことには何度も出会います。ただそれはボタンを押せば、もしくは呪文を唱えればなんでもかなえてくれる(不思議なポッケでかなえてくれる)ようなものではありません。

厳密に熱力学の第二法則に従います。

まどマギはそれが1つのテーマでした。

何かを手にするためには、自分の大事なものを犠牲にしなくてはいけないということです。

息を吸うためには、息を吐かなくてはいけません。

自分のすべてを手放しても良いという覚悟がなければ、いつまでも何も手にできません。

ただ認識の主体である我々自身は一瞬だけ「マクスウェルの魔」になれるというのは、事実です(脳内メモリの消去に際して、熱エネルギーを必要とし、それでつじつまを合わせます)。



ちょっと具体的な例を出して考えましょう。

気功はほぼ何でも可能ですが、すべての気功にはそれ相応のコストがかかります。

京都から東京へ移動したいときに、歩いて移動することはもちろん可能です。しかし私たちは別な交通手段を使います。

気功でアトピーの改善はできるかもしれないですし、白髪を黒くすることも可能かもしれません。髪を生やすことも。
しかし、それは歩いて移動するのと同じくらい、無意味なことかもしれないのです。
歩けるから歩くというのは思考停止です。

もっとも重要な資源はお金ではなく、時間と意志力です。
歩いて移動している人々にとっては、京都から東京へ新幹線を使うのはお金をドブに捨てているように見えるかもしれません。

しかし、ゴールがあり、時間と意志力が希少なリソースであることを知っている人々は、髪の毛を染め、足りない髪の毛は補い、アトピーは薬でコントロールするのが良いと思います。
感染症に対して、抗生剤を使わないのは時には自殺行為です。治癒力を高めるなどと言っても限界があります。いつでももちろん奇跡は起こり得るのですが、それは銃口を頭に突きつけたロシアンルーレットとバカらしさでは大差ありません。
食事で取れないタンパク質はプロテインシェイクなどを使えば良いのです。

ゴールがあり、それに向けて走り出したら、気功技術も含めて、ありとあらゆる方法でそこに行くことに命をかけることです。気功しか使ってはいけないというような、気功原理主義は賢さから遠ざかる行為です(「気功しか使わない」という制約を課して、訓練するのはまた別の論理です)。
賢くない人には、気功は使えないのです。

なぜなら結局、気功というのは脳と心の使い方の改善でしかないからです。
賢くないということは、脳と心をうまく使えていないということだからです。

「『まといのば』では、なぜ数学や物理や化学などをやるのか?」と思っている方も多いと思うのですが、最低限の用語の理解がなければ、伝えられない方法論がたくさんあるからです。

記号の意味を分からずに、呪文の書は読めません。

「技術だけもらえれば、あとは勝手にやるのに」と思っている人は、気功をなにか夢のような「魔法」と勘違いしているのです。いや「魔法」ですら、頭の不自由な人には使いこなせません。

ただ頭の良い人などいません。ただ頭を良くしようとする過程の中で、何となく「奇跡」や「魔法」が副産物としてついてくるイメージです。重要なのは累積値ではなく、差分です。積分ではなく、微分です。変化率が奇跡を生じさせるというイメージです。



*グリモワールよりも魔術書なのは、タルムードだと僕は思います。



ちょっと蛇足ながら、マクスウェルの魔について少し。
熱力学の父であるボルツマンに対して、マクスウェルが手紙で指摘したのが、このパラドックスです(もちろん、これはパラドックスで終わらず、実在が示されました。もちろんほんのわずかな時間だけの)。

このマクスウェルの指摘が素晴らしいので少し長いのですが、引用します(寺子屋「熱力学」でも取り上げました)。

ちなみにマクスウェルの魔のポイントは、気体分子を速度というか運動量で振り分けるような知性のことです。

マクスウェルの魔が保育士だとしたら、子どもたちが走り回っている保育園において、よく走る子たちを向かって右へ、あまり動かない子たちを向かって左に移動させるイメージです。
一定の室温だったはずに、部屋の片方が熱くなり、片方が寒くなります。それもストーブや冷房といった熱力学的な力を一切使わずに、、、、。



もし、そんなことができるならば、冷蔵庫が無くても冷やせ、カフェ・オ・レはコーヒーとミルクに戻り、覆水盆に返り、ハンプティ・ダンプティも元の卵に戻れます。

(引用開始)
 さて、ここで、ある有限の生き物を想像してほしい。彼はさっと見ただけで、すべての分子の進む方向と速度がわかるが、この重さを持たぬ引き戸を使って仕切り壁に空いた穴を開けたり閉じたりすること以外、何もできない。

ただ、観察力がたいへん鋭く、手先の器用な生き物の知性が用いられただけだ。

つまり、もし熱が物質の有限部分の運動ならば、そして、もしそのような物質の部分の一つ一つを別個に扱えるような道具を使えれば、異なる部分の異なる運動を利用して、温度にむらのない一つの系から、異なる温度の複数の系、つまり、内部の運動状態が異なる複数の系を復元できる。ただ、我々にはそれは不可能だ。我々はそこまで利口でないから。

ところで、二つの気体が同じというのは、いかなる既知の反応によっても両者を区別できないということだ。したがって、これまでは同種と見なされてきた二つの気体がじつは別の種類であり、今後その違いが発見される可能性、そして、可逆性の過程によって両者を分離する手法が発見される可能性は、低いとは言え、皆無ではない

これを踏まえると、エネルギーの散逸という概念は、我々の知識の程度しだいということになる。取り出せるエネルギーとは、望ましい経路ならどんなものにでも導くことのできるエネルギーだ。散逸したエネルギーとは、手に入れることも、意のままに導くこともできないエネルギーで、たとえば、我々が熱と呼ぶ、分子の混沌とした運動状態がそれにあたる。ところで、この混沌とは、相関名辞と同様、物質自体の属性ではなく、それを認識する心との相関によって規定される。

散逸したエネルギーという概念も、自然界のエネルギーをまったく利用できない者や、どんな分子でもその動きを追いかけて、適時に捉えることのできる者の頭には浮かばないはずだ。両者の中間にいて、うまく利用できるエネルギーも、指の間を擦り抜けていってしまうエネルギーもあるような者にとってだけ、エネルギーは取り出せる状態から散逸した状態へと必然的に移ろうように見える。
(引用終了)(『ユーザーイリュージョン』より)


このマクスウェルの指摘があまりに秀逸なのは、次の点です。

エネルギーの散逸という概念は、我々の知識の程度しだい

もう使えないエネルギーとしての「散逸したエネルギー」の例として、熱を持ち出し、この「分子の混沌とした運動状態」の「混沌」とは、「相関名辞と同様、物質自体の属性ではなく、それを認識する心との相関によって規定される」と喝破している点です。

恐るべきです。

ぼくのイメージは、マトリックスです。

キアヌ・リーブス扮するトーマス・アンダースンが追われて、ビルの壁をつたっているときに、絶体絶命に追い詰められます。

そして思わず"No way"と言います。

まさにNo way out(出口なし)です(その後、拘束されます)。

しかし、もしジェイソン・ボーンなら、そして覚醒したあとのNeoであれば、そんな状況でもMany waysでしょう(そんな日常がAlwaysでしょうしw)。

絶体絶命なのか、それとも脱出する方法がたくさんあるのかは、その状況次第なのではなく、「それを認識する心との相関によって規定される」のです。



まずは、エネルギー保存則について我々が知っていることをまとめておきましょう。

よくしられているように保存則には段階があります。

最初は「質量保存の法則」として我々は学びます。
これは燃焼後に質量が増えるという不思議を克服したときに確立しました(熱素というマイナスの質量を持つ分子が想定されていました。実際は酸素というプラスの質量を持つ分子との化合が燃焼でした。酸化ですね)。

一方で振り子の例などでエネルギー保存則が示されます。位置エネルギーと運動エネルギーの和がいつも保存されます。振り子が最も高いところでは位置エネルギーがMAXで、速度0=運動エネルギー0となり、位置がもっとも低いところで、速度はMAXになり、運動エネルギーもMAXになります。
こちらが立てば、あちらが立たずのトレード・オフのような感じです。位置エネルギーMAXで運動エネルギーMAXみたいなことにはならないのです。


*ニュートンのゆりかご、ですね。これを使って気功をやっている方を知っています。一番端の鉄球にとっては、気に感じるかもですね。前の人は動かないわけですからw


そのつぎにアインシュタインがE=mc^2という厄介な等式を編み出し、このことでE=mが示されたので(プランク単位系で考えるならば、この等式は正しいので)、エネルギーは質量と等価です。

とすると、質量保存の法則が壊れる瞬間があります。空を眺めれば、多く見られます。大空に広がるのはたくさんの核融合炉ばかりです。

質量保存の法則が壊れたのではなく、アップデートされて、エネルギー保存則となります。


そして、最後に「マクスウェルのリューク」ならぬ魔の存在によって、情報とエネルギーが等価であることが示されます(面白いことに、これは実験でも示されています)。


その上で、マクスウェルの予言をしげしげと眺めると、我々がランダムだと思うものに秩序を見つけ、秩序からエネルギーを引っ張るのは、「それを認識する心との相関によって規定される」のだなぁと思います。


まあ、ペンパイナッポーアッポーペンですね(^o^)





【書籍紹介】
マクスウェルのお手紙の引用はこちらのユーザーイリュージョンからの孫引きです。
ユーザーイリュージョンは必読ですね。以前は良く紹介していたものでしたー。
ユーザーイリュージョン―意識という幻想/紀伊國屋書店

¥4,536
Amazon.co.jp


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